世界を探究したい

哲学を軸にいろんな意味を考えたい

プレゼントは関係性を悪くするかも (後編)

前編からまず読んでみてください⇒

 

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もらって嬉しくないプレゼントってありますか?

 プレゼントは現金は贈るべきではない、そのプレゼントのもつ付加価値が大切なのだと主張しましたがではその付加価値とは何なのでしょうか。ここでもプレゼントとしてもらって嬉しくないものから考えていきたいと思います。
 もらっても嬉しくないものの一つに実用品があげられると思います。物でいえばいつも買っているシャンプーの詰め替えだったり、トイレットペーパーだったり。現金に近くなればスマホひと月分の料金を代りに払うことも可能です。それは嬉しくないですよね?ですが同じシャンプーでも自分の髪の悩みにあった特殊な、または高級なシャンプーだったら話は変わりませんか?そうなると自分では買えない、または買わないけど欲しいものというのが一つの付加価値かもしれません。それは言葉にするなら非日常感だったり特別感といったものでしょう。なぜそれらの情報が魅力に感じるのでしょうか。好奇心を刺激するからでしょうか。人が喜ぶ感情を分類すればわかりやすくなるかもしれませんね。

遠回りしてきた主張

 ここまでいろんな観点からプレゼントとは何かを検討してきましたが、最も大切なことは相手のことを考え、考えた理由に基づくプレゼントを贈ることです。プレゼントの付加価値とは言い換えるならば贈り主の目的の付与です。お金なら自分で稼げばいい。ですがその付加価値は絶対に自分から手に入れることはできません。だからこそ贈る意味があるのです。プレゼントを決めるのにとても時間がかかるかもしれません。考えた結果相手のことがよくわからなくなるかもしれません。ですがこの人はなにが欲しいのかな、そもそもどういうことで喜ぶのかという視点で接してみると、いつもは見えなかった視点でその人を見ることができ、よりその人を知ることができるのかもしれません。
 どうして無駄なプレゼントが存在するのでしょうか。それは相手のことを全く考えず自分本位のプレゼントを贈っているからです。そんな価値観の押し付けのようなプレゼントはもらう側からすれば負担ですし無駄です。

FIN

 

ブログを見やすく書くためにもう少し勉強したいと思います。
あとこういった物事の善というものに興味があればマイケル・サンデルの本を読んでみるといいかもしれません。『それをお金で買いますか』という本は政治哲学者の本でありながら前提知識なしでスラスラと読める内容だと思います。

プレゼントは関係性を悪くするかも (前半)

プレゼントとして相応しいものとは

みなさんはどんなプレゼントをもらったらうれしいですか?そもそももらえたらうれしいですね、笑 ただもし恋人がくれたプレゼントが現金だったらどうですか?もええてうれしい感情とともにすこしモヤモヤした感情がわくのではないでしょうか。その不思議な感情を実体験を交えながら考察して、プレゼントの意味を考えいきたいと思います。

プレゼントに現金はふさわしくないのか

 まず一つの私の主張はプレゼントとして現金を贈るべきではないということです。そこには最近多いアマゾンカードのようなギフトカードも含まれます。またここではひとまず友人という関係を想定しています。友人であればプレゼントを贈りあうことになると思うのですが、現金を贈ればただ次の自分の誕生日に同様に返されるだけです。無駄な気がしませんか?なぜなら結果そこには誕生日を祝ったという事実しか残されないからです。それならば「誕生日おめでとう」と贈るだけで十分です。そしてそこに現れるのは無駄という感情だけでなくその友情が現金化されて関係性が固定化されてしまうことです。例えば1万円贈ったのならば、その数字があなたを祝うことの価値ですと宣言しているようなものだからです。仲のいい友人からもらうものが500円だったら悲しいですよね?500円くれた友人のために盛大に誕生日を祝おうと思えますか?
このプレゼントに対する価値観の疑問が生まれた実際の話を少ししたいと思います。数年前私は当時付き合っていた相手に「プレゼントはこれがいい」と、あるブランドの財布を要求されました。その当時は言われたとおりに買ったのですが何かモヤモヤ感が残りました。この感情は何な嬢でしょうか?当時お金がなかっただけだろ!というツッコミはやめてくださいね、効くので。それはさておきその感情は、選択権がなかった不自由感でしょうか、祝う行為が現金化されたからでしょうか、どれくらい誕生日にお金を使えるのか測られているからでしょうか。

現金を贈る例外

ここで先ほどプレゼントの相手を友人と特定したのは例外が存在するからです。しかしこの例外を考察することでプレゼントの意義が見えてくると思うのでじっくり考察していきたいと思います。その例外とは親子と、関係性が現金化されても問題ない相手です。関係性が現金化されても問題ない相手というのはかなり限定されていますがキャバクラ嬢へのプレゼントを想定しています。おそらく彼女らは現金に近い存在を望むでしょうし、プレゼントする場合はその望みに応えるべきです。ただ一つ重要なのは相手の望みを叶えることです。相手はお金を稼ぎに来ているのです。ならばそこでの客と接するのもお金を稼ぐためです。自分本位なプレゼントは相手のことを考えず、さらには関係性すら自覚していないので危険です。では交際相手の望んだものを購入するのとこの例は何が違うのでしょうか。交際相手の場合は相手に頼むくらいなら自分で買えばいいのです。相手からもらう必要性がありません。ですのでプレゼントというのは相手からもらうという付加価値が重要なのです。
また親子が例外の場合も考えましょう。端的に言うと家族はすでに関係性をほとんど理解しているからです。現金のプレゼントなんかで変化するようなものではありません。では関係性を理解していたら現金を贈るのかといえばそうではありません。だって現金なんて送っても無駄かどっちかが利益になるだけですからね。むしろ重要なのはプレゼントを贈ることで相手に自分の愛情を表現することができるという点にあるのです。ちなみに少し話がぶれるのですが、私が考える愛とは相手の実現を自分の利益を度外視して願うことのできる感情だと思っています。これは人間限定で、ものに対しては適用できないですが。話を戻すと愛情を表現するとになぜ意義があるのかということです。それは相手のことを理解するのが不可能だからです。なので関係性も互いの想定がずれている可能性もあります。その関係性を再確認させてくれる一つがプレゼントなのです。だからこそ現金を贈るのではなく相手のことを理解していると表現できるものを贈るべきです。前段落で言うところのキャバクラ嬢の話で言えば相手との関係性に本質的に興味は無いので(客として継続的に来てほしいという意味では無くはないかもしれませんが)より現金に近いプレゼントのほうが良いのです。

まとめ

端的に言えば現金はプレゼントとして適しているのかという問題提起です。そこからプレゼントとは何かを導き出そうとしているのです。そしてプレゼントで重要なのはその人が相手のことを考えて渡すという付加価値です。またそれは愛情を確かめることができるという、人の持つ不安感を解消してくれる役割と相まって大きな意味を持つのです。次回はよりプレゼントについて深堀して考えていきたいと思います。

 

 

 

書きたいことはたくさんあるのですが、文章力が、、、とか知識量が、、、とか考えていると書いては消しての繰り返しになってしまいます。ほんとは毎日のように日々の疑問を書いていきたいのですが、笑 
ぜひぜひコメント待ってます。肯定も反対もなんでもください。あと見てくれている人がどんなものに興味があり、特にどんなことに疑問を持ったりするのか聞いてみたいです。

広くコミュニケーションできる場を作りたい。

【このブログの目的】

このブログの目的は社会一般のことに関して哲学、法哲学的な議論ができる場を作ることです。こういった学問はやはり一人で学ぶより議論を通してのほうが深められると思っています。なのでたくさんの人に気軽にコメントしてもらいたいと思っていますし、そういったブログにできるように頑張ります!

ちなみに哲学、法哲学とは

哲学…理由付けについての理由付け、思考についての思考 (マルクス・ガブリエル)
法哲学…法とは何か、法とはどうあるべきか
だと考えています

【最近のふとした疑問】==eスポーツってスポーツ?

そもそもスポーツって?

結論から言うとeスポーツはスポーツではないと思っています。まずスポーツの意味から考えると、一般的には競い合う、体を動かすものというイメージだと思います。ただマインドスポーツと呼ばれるものがあるようにチェスやカードゲームなどは体をあまり動かさなくてもスポーツと呼ばれるものもあります。ではeスポーツの何がスポーツではないという議論が生まれるのでしょうか、ゲームを理解できない層が拒否しているだけなのでしょうか?

人間はなにに魅了されるのか

私はここに人間の本性を見出すことができるのではないかと思っています。つまり人間は肉体それ自体が動き何かを実現する姿に魅力を感じるのです。ゲームをやる姿は結局のところ操作する人がゲームのキャラクターを動かします。それはまるで野球チームの監督やオーナーのような存在です。スポーツをするのは選手でありオーナーではありません。実はeスポーツとオーナーに共通点があり、その点がeスポーツがスポーツではないと言われる所以だと思います。この点で区別すると上述したマインドスポーツはスポーツのように思えますね。eスポーツでは本人の操作したキャラクターがゲームの世界で何かを実現するので。ただそうなると騎乗はスポーツに入るのでしょうか。

【締め】

だらだらと日常の疑問を書いてしまいましたが、毎日のようにこんなことを考えています。でもこういったことを考えているときが一番楽しいのです、、 周りからどうでもいいと思われるようなことを考えてしまうけどあんまり外には出せないな、なんて人がいたらここに吐き出してほしいです。こういった意味の探究は人生を明るくしてくれるような、そんなものだと思うからです。