デリダ ー脱構築ー
最近は「~をやらなければ」と追い詰められる日々です
みなさんはそういった義務感的不安に苛まれることはないですか?
デリダの脱構築は絶対に日本人が頭に入れておくべき概念です。
(私はまだデリダ自体は読めてないのですが、、、)
なぜなら脱構築は固定的規範からの脱却を促進するからです
日本にはた~~くさんの規範、義務が存在します。
それをすべて実行していると、連帯感が生まれる反面、自分を見失ってしまいます。
そういった自分を取り戻すヒントになるのが脱構築です。
日常的に使える概念ですので、その日から使ってみましょう!!
脱構築とは何なのか
それは
二項対立の固定化を疑うことです
①二項対立とは
②固定化とは
➂疑うとは
の順で簡単に説明します!
①二項対立とは以下のようなものです。
善/悪、真面目/遊び、本質/非本質、
②これが固定化されるというのは
喫煙=悪/非喫煙=善
勉強=真面目=本質=+/ゲーム=遊び=非本質=-
問題なのは一方の項を固定的にプラスの評価を与えることです。
なぜなら常に真であるときは存在しないからです。
➂脱構築的に思考すると次のように疑問を投げかけます
喫煙がプラスになるのはどんな時だろうか?
コミュニケーションの取りやすさで言えば喫煙もプラスかもな~
このようにもう片方を味方してみます。
これが脱構築の概要です。
ではこの脱構築 なんで重要なの??
それは二項対立の勝ち負けは相対的であり、
目的によって変わることを理解することです。
例えば勉強/ゲーム で見ても
大学受験する→勉強
プロゲーマーになる→ゲーム
こんな感じでその時、その場面での目的によって二項対立を評価する基準は変わります
主張には必ず二項対立が含まれています
なぜなら主張は価値を付加する行為だからです
例えば私が脱構築を知ったほうがいいというのも
知っている状態にプラスの価値を付加しています
だからこそ、どんな基準、目的があってその評価をしているのか知る必要があります
それが自分を取り戻すことにつながります
明日からまずは世界の二項対立を捉えてみましょう!
次に固定化されている価値観に対して、こんな時はもう一方のほうがいいのでは?という妄想をしましょう!
⇒確実に思考力が上がります
クリティカルシンキングですし
コロナのワクチンやマスクなんかは考えやすいですね~
下に今回の内容を踏まえた本を載せておきます。是非読んでみてください‼
ちなみに私は電子書籍は honto に移行しました。
クーポンがたくさん発行されていて、基本的にkindleよりも安く買えますよ!
《実存哲学》の系譜 第一部哲学史の中のキェルケゴール
今回は「《実存哲学》の系譜」の要約をしたいと思います。まず第一部から。
この講談社選書メチエは好みの本が多いので探す時に助かってます。「メチエ 一覧」で調べるだけで気になる本がたくさん出るので。
実存哲学とは
まず実存とは何かを説明する必要があります。実存とは、事物の本質が存在を付与されて現実に現前するようになった事物の在り方です。椅子というものが私たちの前に現れてくるのは座るという本質があるからです。そうでなければ「椅子」として現れてきません。この考えを人間に限定して考えるのが現代の実存の概念です。
この本での実存哲学は「神との接続を絶たれた不安と孤独と絶望の中で、主体的に、他者たちの責任を担って、自己の在り方を自由に決断して作り上げていこうとする思想」と書かれています。
ちなみに有名な言葉「実存は本質に先立つ」は、神や生物学によって本質が与えられるのではなく、本質とは自らが見出していくものだという意味だと思います。
つまり、どんな不安も受け入れ自らの力で選択して生きていくしかない、そしてその答えは自分の中にしかないということです。西洋で生まれた哲学ですがどこか日本になじみのあるような… 仏教の悟りと実存主義における人間の本来の生き方は似ているような気がします。
実存哲学におけるキェルケゴール
キェルケゴールは実存という概念を人間に初めて限定して考えた存在です。キェルケゴールの中でも特に注目されたのが実存の心理学的研究でした。「死に至る病」で現れる絶望といった心理が哲学に注目されたのでした。ここで注目したい概念は「不安」と「自己」です。キェルケゴールの概念にはキリスト教的価値観が現れてくるためすこし理解しづらいところがあります。
キェルケゴールによる実存の不安とは、「精神の在り方が人間に委ねられていることからくる自由の可能性の現れ」です。この不安というのは二つに分けることができ、「その不安の中で個人が質的飛躍によって罪を定立する不安」と「罪とともに入り込んでいる、そして入り込んでくる不安」です。一つ目についてはキリスト教の原罪(アダムとイブの話)を心理学的に説明するためのもののように思われるので二つ目に注目します。人間は自由であるがゆえに罪を犯してしまうのではないかという可能性に不安を感じるといいます。なぜここに不安を感じるのでしょうか。人間が本質的に罪を犯してはならないと知っているからでしょうか。
そしてキェルケゴールによる自己とは「精神としての人間を、その人間自身の視点で捉えなおしたところに現れる概念」です。これは自己意識が自らの意識を捉えるようになり自己が生まれるということでしょう。そして絶望とは「人間が自己として措定されていながらも、それでも様々な仕方で自己のことを、そしてまた他者(神)のことをないがしろにしてしまうあり方」のことです。自己意識と意識の間に矛盾が生まれ、さらにその矛盾が他者に向いてしまうことがあります。「こんなこと言うつもりなかったのに」、「本当はこうありたいのに」などなど、自己意識が考えるセルフイメージとそれが捉えた自らは矛盾していることがあります。ちなみに最高度の絶望とは「自己として措定されていること自体に対して反抗的になり、自分を他者(神)の失敗作として顕示したがるような状態」です。
人は自由であるがゆえにそこに自己矛盾を抱え、不安を抱くのでしょう。ここまで見てきたようにキェルケゴールの概念には罪、神などのキリスト教的価値観が出てきて掴みづらいところがあります。次に紹介する哲学者はこのキリスト教的価値観を排除し人の実存を捉えようと試みます。
三人の実存哲学者とキェルケゴール
ハイデガー「存在と時間」…哲学的考察に不安の概念を取り入れる
ハイデガーによると、人間は死が確定していて、かついつ訪れるかわからないからこそ、そこに不安を感じるのだと考えます。死によって自分が無となることへの不安です。ここからハイデガーは死を恐れ逃避しようとするあり方を非本来的とします。そしてむしろ不安を契機として死と向き合うことで本来的な生き方ができるのだと考えます。
人間は事物と異なり在り方が未規定であり、自由な自己関係を通じてあり方を形成していくように実存している。そして人間の在り方に伏在する無から不安が生じる。と考える点でキェルケゴールとハイデガーは共通します。
不安は人間が自由であることをあらわにしますが、その不安が非本来的な生き方に導くこともあります。だからこそ自分を見つめ続けなければなりません。
残り二人(サルトル/ヤスパース)の哲学者の話は割愛します。なぜなら筆者の主張はキェルケゴールの実存哲学がどのように受け継がれてきたのか見ることではないからです。筆者の主張は「彼の言葉、概念を哲学という知的活動を推し進めるために有効活用しうる素材の一つとみなすだけではいけない」というものです。それではキェルケゴールが、哲学を通して自らと他人の魂を優れたものにしようとした試みの全てを理解することができないからです。
感想
ここまでの流れだとキェルケゴールが不安や絶望といった心理学的分析から、人はどのように生きるべきなのかのは記されていません。不安という心理と実存はどのような関係にあるのでしょうか。おそらく次の部で明らかになります。また著者はこのキリスト教的価値観をどのように解釈することで我々日本人にキェルケゴールの実存哲学を伝えようとするのかも楽しみなところです。
個人が環境問題を考える意味があるのか。
最近「環境危機をあおってはいけない」という本を読みました。それを踏まえ個人が環境問題について考える意味を考えたいと思います。それは
①正しいリスク分析が可能になる
そして自分のより善い生き方、そして自分で考えて生きることにそれぞれつながります。この記事が環境問題を見る一つの視点になればと思います。ちなみにその本はこちらです。↓データが古いですが読む価値はあると思います。買うには高いですが、
正しいリスク分析とは
この本で取り上げられていた論題を一つ挙げたいと思います。農薬はどれくらい人体に悪影響を与えるのかご存じでしょうか?ここで挙げられているデータではガン死亡者のうち農薬による影響は0.5%未満だとされている。つまりそれ以外の要因が大多数を占めていて、農薬の発がん性は大きな原因とはなりえないということだ。これに対して農薬を規制すると生産コストが上がるから野菜や果物の価格が上がる。農薬による価格の変化がどれくらい消費に影響を与えるのかは分からないが、野菜、果物をたくさん食べたほうが発がんリスクが抑えられるのは間違いないだろう。
ここで分かるのは
①世間一般で言われている人体の影響はほんの一部であり、それぞれの生活習慣の方が圧倒的に重要度が高いということ
②人は悪い影響を原因のほんの一部でしかないものに全ての責任を押し付けようとしてしまうということ
①世間一般で言われている人体の影響はほんの一部であり、それぞれの生活習慣の方が圧倒的に重要度が高いということ
自分の自由な選択が己の人生を決めます。また重要度の分析は自分でしなければなりません。
発がん性物質を避けるより、毎日野菜を食べるようにする・毎日少しでも運動するの方が圧倒的に効果が高いです。外部が自分に与える影響より自分が選択した行動の影響の方が大切なのです。これだけでもいかに現代が自由かが分かります。しかし人間は原因を外に求めようとします。しかしそれでは何も改善されません。原因の大部分がその人にあるからです。
また重要度に関して、これもこの本の主張を挙げたいと思います。この本では多くの環境改善にかかるコストは非常に高くかつ非効率的であり、発展途上国の支援にその費用を回すべきだと主張しています。根拠の一つが、発展途上国の森林伐採などの環境悪化行為が貧困を理由に行われているというものです。つまり経済的支援が発展を支えるだけでなく環境問題改善にも大きく貢献するということです。この主張は面白いと思ったから取り上げたかったのですが、重要なのは正しい事実を捉えることと、それをもとにコストの効率性を考えるべきだということです。特にコストの効率性は個人単位でも重要です。時間にしてもお金にしても、どのような使い方が最も成果を上げるのか、またはどのような使い方が最も自分が嬉しいのかを考えるべきです。それらは限られているのですから。しかし世の中にはそのような相対化を行ってはいけないものがあることは注意しなければいけません。奴隷制度は大きな利益を生むかもしれません。コストも低いかもしれません。ですが効率性を考えるものではありません。奴隷制度は絶対的に許されてはならないものだからです。
また流行、世間の風潮などは自分に最適とは限りません。自分で決めなけらば永遠に力を持ったものに搾取され続けるだけです。流行なんて人の標準性を利用して消費を加速させているだけですから。流行に乗るのはいいと思いますが、それによって何が得られるのかは考えた方がいいところだと思います。周りと同じ安心感?周りと違うから仲間外れなんてことはないです。意外と誰も興味ないものです。
余談ですが最近ハイデガーを読んでいるのですが、かなりこういった生き方への考え方がつづられています。よかったら読んでみてください。ハイデガーに関しては入門書を読むのがおすすめです。近いうちにハイデガーの内容をまとめたいとも思っています。
②人は悪い影響を原因のほんの一部でしかないものに全ての責任を押し付けようとしてしまうということ
人は誰かのせいにしたい生き物です。またこれを利用してメディアは小さいものを誇張して責任を擦り付けることがあります。しかし原因がそれのみなんてことはほとんどありません。様々な要因、原因が複雑に絡み合うことで一つの事象が発生するのです。環境に関しても様々な要因が絡み合うから解決が難しいのです。だからこそメディアの〇〇が環境に悪いという表現を鵜吞みにして誰かを批判するなどするべきではありません。環境に悪いという単語を使うなら、呼吸すらも二酸化炭素を増やすから悪いと言えてしまいます。各々が事実に基づいて、何が大きな原因なのかを考えなければいけません。それが最も効率的に環境問題を解決する方法です。
ブログを書くことで自己成長を試みる
前回記事の続きです。ぜひ読んでみて下さい。
前回書ききれなかった二つの要素を。
文章力の向上
ただ書くだけでは自己成長という意味で無駄だと思います。何も考えずに書くのならば慣れてタイピングが早くなる、思いつき→言語化のスピードが速くなるくらいでしょうか。言語化のスピードが速くなるのは大切ですがブログでそれを高めようとするのは効率が悪いです。むしろその言語化にいくつかのエッセンスを加えることで大きな効果をもたらすのだと思います。
一番重要なエッセンスは他人に伝えるという目的で言語化することです。そのためには思考を人に伝えるという目的のもと論理的に整理する必要があります。ポエムや詩のような感情をつづるにはそれよりも思考、感情をありのままに表現したほうがいいのかもしれません。ですが情報を共有する、発信するならば人に伝えるための文章力が不可欠です。それが伝達力だと思います。
そのために論理的構築を自分が発信したい情報に向けて作ればいいのです。誰かに伝えるという目的が文章に客観性を与えてくれます。そしてこの意識はコミュニケーション能力向上にもつながります。論理的に相手に伝える、という行為は慣れが必要であり、会話していくうちにというのでは難しいです。文章に起こすのは会話と違い考える時間が十分にあり、論理性や相手の意識を再確認しながら行うことができます。ですのでその思考法に慣れれば必ず実際のコミュニケーションにも役立ちます。
習慣継続力の向上
継続して何かをやるという力を伸ばすことができます。なにかを習慣づける力というのが存在していて、それはなかなか向上しません。決心しても、今日は疲れたから、とか何かと理由をつけて自分を正当化し、気づけば全く続いていないなんて経験は誰にでもあると思います。それは日ごろから継続する力を使っていないからです。むしろ言い訳してやらない力ばかりついてしまいます。
ちなみに毎日書くのは大変です。(私は毎日投稿したいのですが、下書きがたまる一方です、)
人はなぜ、どんな時に何かをやり遂げることができるのでしょうか。答えは強い目的、それのみだと思います。続かないのは目的がはっきりしていないからです。また目的があってもそれが明確でないと続きません。また人から与えられた目的も続きません。自分でなぜそれを目的にするのか徹底的に考えなければなりません。また目的達成をイメージすることも大切です。
これの最もわかりやすい例がダイエットだと思います。好きな人のために痩せる。その人に好かれたい、付き合いたい、非常にわかりやすい目的です。また痩せた自分もイメージしやすいです。きれいなモデルを見ればそれだけでイメージができると思います。また痩せて好きだった相手と付き合うイメージも簡単です。付き合ったらどんなところに行きたい、なにをしたい。これをイメージするだけで継続する力が湧いてくると思います。また妄想するだけでなくその妄想が現実になったら自分はどういった感情になるのかまでイメージすることが大切です。誰しも感情がありますからよりイメージが鮮明になります。
自分が成長したらどうなるんでしょうか、何のために成長したいと思うのでしょうか。
ブログを書くことで自己成長を試みる
私はブログを書くメリットは4つあると考えています。
- 情報収集力の向上
- 情報構築力の向上
- 文章力の向上
- 習慣継続力の向上
これらは記事を書くためのそれぞれのステップで向上する能力です。これらの力の向上は自分の成長に不可欠な要素だと思っています。もしこれを読んで興味が湧いたら初めて見てください。ちなみにこの記事は始めたばかりである自分に言い聞かせるつもりで書いています。
この記事では初めの二つを書きたいと思います
情報収集力が上がる
ブログを書くために必要な最初のステップが情報収集です。そこに必要なのは物事への広い興味・関心とそれを説明するための知識です。これらの領域がブログを書くという目的を持つことで広がります。まず一つ目に興味関心の広がりですが、ブログを書くには題材が必要です。そのためには日々の生活から題材を探す必要があります。「なんの記事を書こうかな~」という意識を持つと身の回りの物、出来事などがすべて題材に変わります。ペットボトルに入っている水でも、「この水はどういったマーケティングがされているのか」「なぜ人間は水を飲まなければならないのか」「水の供給はどのように管理されているのか」「人は水を欲求によって飲まされているから自由ではない」などなど様々な領域の捉え方ができます。すべてを題材とみることで視野が広がり、思考力が向上します。
また題材を決めてもそれに対する知識が必要です。この知識の収集の過程でもブログを書くという目的が能力を向上させます。なぜなら自分が理解するよりも多くの知識と分かりやすさが必要となるからです。例えば「なぜ人間は水を飲まなければならないのか」ということを書くなら、なぜ人間は水が必要なのか、水が必要ない生物はいるのか、どれくらい水をとるべきなのかなど様々な知識が必要です。ただ自分のための情報取集では人に伝えるには足りません。なぜなら自分の固定概念や自分がすでに知っているものを排除していないからです。ブログに書くには固定概念を取っ払い、前提知識を問い直してから情報を集めなければなりません。そうでなければ説得力も分かりやすさもないからです。子供にいきなり微分積分を教えません。まずは相手がどれくらい算数、数学の知識があるのかを確かめる必要があります。ブログでも自分が誰に向けて書くのかを明確にし、その相手に理解してもらうために情報を集めなければいけません。
情報構築力が上がる
次に集めた情報をまとめるステップが必要です。そしてそのためには情報を整理する論理的構築力が不可欠です。なぜならただ情報がバラバラに存在していても意味がないからです。集めたものに意味を持たせるのが論理的構築です。例えば大量の哲学の本の山があったとして、興味ない人から見ればただのごみの山かもしれません。ですが哲学に興味がある人から見ればずっといたい場所かもしれませんし、本の売買をしている人からすれば高額なレアものだらけかもしれません。つまりここで言いたいのは情報はそれだけで価値があるのではなく、人の持つ目的によって整理されて意味を持つのです。その目的に合わせて整理するのが論理的構築です。
論理とは目的までの道筋を明確にすることです。目的地を設定したら、そこまでのルート、時間、距離、手段などを示すことでゴールまでの道のりをイメージしやすくします。つまり論理力とは客観的なイメージを与える力です。そして構築とは抽象と具体の組み合わせです。
目的地⇒手段⇒時間
⇒費用
⇒利便性
⇒ルート
⇒持ち物
この図でいうところの矢印のように整理することが構築で、これに目的に合わせた論理的分析を加えます。それが最も説得力と分りやすさがあるからです。
これらの能力が上がると考えてブログを書いているので、私はこれらの能力が高くありません。むしろ高めていと思って始めたのです。
長くなりそうなので二つに区切りたいと思います。論理的構築の説明がうまくいっていないような気がするのでそのうち書き直します笑
時間は増やせる
どうやったら時間を増やせるのか
最近時間が足りないと感じることが多いです。読みたい本が~とか英語の勉強したい~などやりたいことはあるのですが。なのでどうやったら時間を増やせるのか考えてみます。勉強する時間を増やすとしたときに主に方法は4つです
- 他の時間を削る
- 勉強の時間効率を上げる
- 勉強の幅を絞る
- 勉強の形態を変える
それぞれどうやって増やしていくのか検討します
他の時間を削る
削る時間として考えられるのが睡眠と娯楽です。ただ睡眠を削るのはやめたほうがいいです。他の活動全ての効率が落ちる可能性があるからです。科学的に言われているのは6時間は最低寝たほうがいいというものです。またそれに加え昼寝をすると睡眠効率と一日の活動効率が上がるそうです。ただ必要な睡眠時間は人によって異なります。私は予定がないと12時間近く寝てしまいます。同じようにロングスリーパこれははいるのではないでしょうか。たまにショートスリーパーが羨ましくなりますよね、笑 ですが天才アインシュタインもロングスリーパーだったと聞くので長く寝れることにもメリットはあるかもしれません。私が考えるメリットは記憶力が上がることです。脳は寝ている間にその日得た情報を整理し、長期記憶させます。なのでロングスリーパーの方が記憶定着率が高いのかもしれません。そう考えると起きている間にいかにたくさんの情報に触れるか、つまり広く浅い勉強が向いていると考えられます。またその性質を利用して寝る前に英語の本を読むなど、睡眠を阻害しない程度の勉強をすると効果がありそうです。睡眠学習のようなものが成り立つかもしれません。
また娯楽の大半がスマホじゃないでしょうか。スマホアプリは世界トップの科学と頭脳を用いて依存させようとしてくるので、依存症になるのは当然でしょう。対策としてはすぐに触れるところに置かないぐらいだと思います。自分の意志力なんてものは信じてはいけません。強制的に触れないようにし、それを習慣づけるしか対策はありません。またもう一つおすすめなのが誰かがいるところで勉強することです。これは人の承認欲求を利用します。まずカフェや図書館などで、本やPCたちを広げましょう。そうすると勉強しようとしているのにスマホばかり触っている自分が恥ずかしくなるはずです。「勉強している自分かっこいい」と自分に酔いましょう。
勉強の時間効率を上げる
勉強の時間効率を上げるには①勉強スピードを上げる②勉強の質を上げるの二つが考えられます。ここでは読書法に絞って考えます。
①勉強のスピードを上げる
コツはもっと早くという意識を持つことと、その本を読む目的を整理することです。早い自分が当たり前という認識を作りましょう。どんな速読法を試しても結局慣れた読み方に戻ってしまいます。方法としては①目標スピードの設定②読書タイマーセット③目標と現実の距離を確認する 最も意味のないのが頑張っていると思うことです。自分が遅いのを正当化しても成長しません。常に目標の自分が本当の自分と考えましょう。(←自分に言い聞かせたい言葉)また読む目的を整理する理由は、目的意識を持つことで自然と目的に沿った内容が見えてくるからです。まずはなぜ読むのか、この本を読んで自分はどうなりたいのかあたりを整理すると章、サブタイトルなどから大事な箇所などが見えてくると思います。
②勉強の質を上げる
おすすめは前述した目的を整理することと、段落や章ごとに要約を作り、また他の段落、章との関係性を整理することです。そうすることで著者の主張が浮かび上がってきます。さらに考えながら読むことができるので自分の身にもなります。要約は1文で十分です。関係性の整理は《因果関係・時間関係・抽象と具体・対比》などです。特に頭の中ではなく実際に書いてみるのがおすすめです。たとえ時間がかかっても、意識的に行うことに意味があります。それが慣れてくると無意識化でできるようになり自然とスピードが上がるからです。おそらくこの方法が無意識化になればすごいスピードで本の内容を理解できるようになると思います。その域に達したいものです、笑
勉強の幅を絞る
これにはまずなぜ勉強するのか考える必要があります。それが整理できれば自然と必要性の順位付けができ効率が上がると思います。また読書に関しても全部読みたい本と、一部を読んである知識が得たいだけの本と別れると思います。それが、勉強の目的をはっきりさせれば可能になります。無駄だと思う勉強、つまらない読書の時間ほど意味のない無駄な時はありません。
勉強の形態を変える
今ではAudibleという本を音読してくれるアプリがあります。それなら移動時間も有効に活用できます。場所や時によって勉強方法を使い分けるようにすればより勉強の時間を増やしていくことができます。
まとめ
だいたい勉強の時間を増やす方法はこれくらいでしょうか。後半の内容はかなりあっさりしていますが、笑
いろんな知識を身に着けることは絶対に自分のためになります。そして何より知識が増えるのはそれだけで楽しいです。自分の見ている世界がどんどんと広がっていくからです。しかしそのためには大量の時間が必要です。そのための術を考えていきました。みんなで永遠に続く勉強を楽しみましょう!!
自分の話 つまらないと思いませんか?
面白く、興味を惹く話とつまらない、眠ってしまうような話にどんな差があるのでしょうか。例えばオチがない話だったり中身がない話だったりがつまらない話として挙げられますが、なぜそれらはつまらないと感じてしまうのでしょうか。もう少し抽象化して話の内容ではなく話の構造から考察していきたいと思います。
何の話をしているの?
つまらない話の構造の要因の一つはその話は誰に向けて何の目的があって話しているのか明確でないことです。つまらない話の構造を考えるために最近の経験を出発点にしたいと思います。その話は講義形式だったのですが、ひたすらその会社の業務内容だったり実績を淡々と並べるものでした。事実陳列とでも呼びましょう。事実陳列を聴いている中ふと思ったのがこれは誰に向けて何のために話しているのだろうということです。もし会社に興味を持ってもらいたいのであれば興味を持ってもらうためには陳列した事実をどう使えば興味を惹くことができるのかまで考えなければいけません。多数に向けた話で意味は受け手が自分で考えてなんてのはウケません。つまり話し手が目的をはっきりさせないから受け手の中で話を聴く姿勢が出来上がらないのです。逆に興味を惹きたければ受け手に話を聴く意味を提供する必要があります。天気の話をするときなんかでも「元ホストだから天気の話でもいくらでも面白くできる」なんて導入があったら、受け手の中で面白い話とはという意味であったり、ホストの話し方ってどんなのだろうという話を聴く意味が出来上がります。
人の話を聴くには
話し手の立場から書いてきたので次は受け手の立場も書きたいと思います。聴き方は二つあります。一つ目は話を聴く目的を明確にすることです。先ほど話の目的がはっきりさせないからつまらないと書いたの受け手はその逆を考えればいいのです。好きな人の好みのタイプなんて話は耳どころか全身傾けて聞きますよね?それはその人のことをもっと知りたい、付き合うためなんて目的がはっきりしているから、その目的に向けた構造にその話を当てはめればいいだけなので聞きやすいのです。目的を明確にすることはその話が自分の目的のどこに位置するのか意味づけることです。ですので聴かなければいけないなんていう聴くこと自体が目的の場合は聴く気になりません。そして二つ目は話の内容ではなく話し手自体に注目することです。つまり受け手の目的は話し手本人を理解することです。だからこそ友人、家族、恋人の話は目的なんかなくても聴いていられるのです。逆にその人のことに興味がなければ話は入ってこないでしょう。ただここはつまらない話の構造について考えたいので二つ目の聴き方は掘り下げません。
まとめ
興味を惹く話の構造とは相手に聴く意味を提示するものです。逆に受け手は聴く意味を自分で定める必要があります。話し方のコツだったりの本でも大体のスキルがこれに集約されるのではないでしょうか。論理的○○なんていう説明の時に結論を提示するなんてのもこれに集約されますね。しかしこのまとめではあまりにも抽象化されすぎている気もするので最後にこれを具体化、いろんな例を挙げて終わりにしたいと思います。世間一般で言う前置き、前振りのようなものです。
- アドバイスが欲しいんだけど~/相談に乗ってほしいんだけど~
いい点や悪い点を探すという意味を提示 話し手が何を求めているのかも明確 みんなアドバイスするの好きですからね。 - 面白いことがあって~/不思議なことがあって~
感覚を共有という意味 ハードルが上がるってやつですね、でも長々話して何の話ってなるよりは? - どう思うか聞きたい /感想を聞きたい
思ったことをそのまま言っていいと感じれるので聴きやすく答えやすい
まずは目的をはっきりさせてから話し始め、そこからさらに相手にどうして欲しいのかに合わせてうまく提示できればコミュニケーションが上手くなるでしょう!
(自分に向けて)
それと、、、
ブログをこれから毎日書いていきたいと思っています。毎日文字にして誰かに向けて書くと情報整理力、情報伝達力、文章力が向上するかな~と思うので、
と宣言すればや継続できますかね~
♡コメントいつでも待ってます♡