世界を探究したい

哲学を軸にいろんな意味を考えたい

個人が環境問題を考える意味があるのか。

最近「環境危機をあおってはいけない」という本を読みました。それを踏まえ個人が環境問題について考える意味を考えたいと思います。それは
①正しいリスク分析が可能になる
そして自分のより善い生き方、そして自分で考えて生きることにそれぞれつながります。この記事が環境問題を見る一つの視点になればと思います。ちなみにその本はこちらです。↓データが古いですが読む価値はあると思います。買うには高いですが、

 

 

正しいリスク分析とは

この本で取り上げられていた論題を一つ挙げたいと思います。農薬はどれくらい人体に悪影響を与えるのかご存じでしょうか?ここで挙げられているデータではガン死亡者のうち農薬による影響は0.5%未満だとされている。つまりそれ以外の要因が大多数を占めていて、農薬の発がん性は大きな原因とはなりえないということだ。これに対して農薬を規制すると生産コストが上がるから野菜や果物の価格が上がる。農薬による価格の変化がどれくらい消費に影響を与えるのかは分からないが、野菜、果物をたくさん食べたほうが発がんリスクが抑えられるのは間違いないだろう。
ここで分かるのは
①世間一般で言われている人体の影響はほんの一部であり、それぞれの生活習慣の方が圧倒的に重要度が高いということ
②人は悪い影響を原因のほんの一部でしかないものに全ての責任を押し付けようとしてしまうということ

①世間一般で言われている人体の影響はほんの一部であり、それぞれの生活習慣の方が圧倒的に重要度が高いということ

自分の自由な選択が己の人生を決めます。また重要度の分析は自分でしなければなりません。
発がん性物質を避けるより、毎日野菜を食べるようにする・毎日少しでも運動するの方が圧倒的に効果が高いです。外部が自分に与える影響より自分が選択した行動の影響の方が大切なのです。これだけでもいかに現代が自由かが分かります。しかし人間は原因を外に求めようとします。しかしそれでは何も改善されません。原因の大部分がその人にあるからです。
また重要度に関して、これもこの本の主張を挙げたいと思います。この本では多くの環境改善にかかるコストは非常に高くかつ非効率的であり、発展途上国の支援にその費用を回すべきだと主張しています。根拠の一つが、発展途上国森林伐採などの環境悪化行為が貧困を理由に行われているというものです。つまり経済的支援が発展を支えるだけでなく環境問題改善にも大きく貢献するということです。この主張は面白いと思ったから取り上げたかったのですが、重要なのは正しい事実を捉えることと、それをもとにコストの効率性を考えるべきだということです。特にコストの効率性は個人単位でも重要です。時間にしてもお金にしても、どのような使い方が最も成果を上げるのか、またはどのような使い方が最も自分が嬉しいのかを考えるべきです。それらは限られているのですから。しかし世の中にはそのような相対化を行ってはいけないものがあることは注意しなければいけません。奴隷制度は大きな利益を生むかもしれません。コストも低いかもしれません。ですが効率性を考えるものではありません。奴隷制度は絶対的に許されてはならないものだからです。
また流行、世間の風潮などは自分に最適とは限りません。自分で決めなけらば永遠に力を持ったものに搾取され続けるだけです。流行なんて人の標準性を利用して消費を加速させているだけですから。流行に乗るのはいいと思いますが、それによって何が得られるのかは考えた方がいいところだと思います。周りと同じ安心感?周りと違うから仲間外れなんてことはないです。意外と誰も興味ないものです。
余談ですが最近ハイデガーを読んでいるのですが、かなりこういった生き方への考え方がつづられています。よかったら読んでみてください。ハイデガーに関しては入門書を読むのがおすすめです。近いうちにハイデガーの内容をまとめたいとも思っています。

 

 

②人は悪い影響を原因のほんの一部でしかないものに全ての責任を押し付けようとしてしまうということ

人は誰かのせいにしたい生き物です。またこれを利用してメディアは小さいものを誇張して責任を擦り付けることがあります。しかし原因がそれのみなんてことはほとんどありません。様々な要因、原因が複雑に絡み合うことで一つの事象が発生するのです。環境に関しても様々な要因が絡み合うから解決が難しいのです。だからこそメディアの〇〇が環境に悪いという表現を鵜吞みにして誰かを批判するなどするべきではありません。環境に悪いという単語を使うなら、呼吸すらも二酸化炭素を増やすから悪いと言えてしまいます。各々が事実に基づいて、何が大きな原因なのかを考えなければいけません。それが最も効率的に環境問題を解決する方法です。